ここでいうイスラエル・リガルディ(IR)系列とは、「人」の問題として、直接的に、黄金の夜明け団のメンバーが創立者であったり団体(いわば子)であったり、更にそこから分裂したといった事情がないと思われるグループ(『全書』を利用した独学など)を総称する。
ギルバートのいうところの「当初の教団の名ばかりの後継者ではあるものの、儀礼を守りつづけ」(Ch.パートリッジ編『現代世界宗教事典』P.450)ている人々である。GD系という意味では、ケース(PFC)系列のBOTAやフォーチュン(DNF)系列のIL及びSOLと比較した場合、最も正統性に欠けるグループである。
次に、クロウリー(AC)系列とは、AAといった系統だけではなくOTOを含む。OTO系の魔術師には不服もあろうが、便宜上の分類なので許して欲しい。
なお、クロウリー系列には、クロウリーのシステムを採用していると思われる団体を割り振っているので、クロウリーと直接の関係がない団体も含んでいる。
また、このリンク集では、PFCの系列を冒頭に配置している。AC、IR及びDNFと異なり、ケースが、AOのトート・ヘルメス神殿の三首領を勤めたことから、「黄金の夜明け」との枠内では4者の中でもっとも役職が高いと判断したからである。
[TOP]正式名称 Bilders of the Adytum, Ltd.。
設立者:Paul Foster Case(October 3, 1884 - March 2, 1954)。
他に、Elma Dame,Lilli Geise(Caseの最初の配偶者),Howard Underhillら(他に一名いるらしい)も設立に関わったとされる。
日本では初期の段階において、GD(正確にはAO)のアメリカ支部(トート・ヘルメス)の分派として紹介された。
この点、PFCのタロットの根底にあるアトリビューションは、GDのものである。また、初期メンバーもAO出身者が多く、在米のAOのグループの多くがこの団体に吸収された。さらに、B.O.T.A.の所謂Working Buildersによる、いわゆるチャプタワークは、AOの0=0儀式や5=6儀式を修正したものといわれている。したがって、その認識は、歴史的には正しいといえる。
しかし、PFCの在籍期間は除名されるまでの三年間(1918-21年、一時プレモンストレーターに就任したが6ヶ月間で退いている)と短く、しかも入団時には既にTarot研究者としてかなりの研究を進めていたという。そしてなによりも、ケースは、ニューソートの思想家として著名なアトキンソンの影響を強く受けており、彼らのいういわゆる「宇宙一元論」的世界観を強く受け継いだ形で教義を形成している。
しかし、このようなかなり強固な「宇宙一元論」世界観は少なくともリガルディやクロウリーを通して知られているGDの教義には見受けられない。
また、手紙のような形で交付するレッスン方式での通信講座も、同様にGDには見受けられない
とすると、安易に、この団体をGD分派と語ることに対しては、教義の面や運営方式において、少なからぬ疑問が生じるところである。
果たして、PFCに、薔薇十字団の支流との意識はあっても、GDの分流との意識があったかは不明である。
ただ、ひょっとしたら、彼個人は通信講座(アソシエーション・ビルダー)とチャプタワーク(Working Builders)の二重構造を、それこそ外陣・内陣の二重構造(あるいは、プロベイショナーと、ニオファイト以上の二重構造)のように考えていたのかもしれない。現に一部BOTA離脱組の書き物には似た趣旨のことが書かれているようだ。
さて、パンフレットからは、同団は、自らを聖なるカバラと神聖なタロットの学院と規定している。
通信講座における、LessonはCaseと後継者Ann Davies(1912-1975)により作成されている。Davies女史のレッスンは、ほとんどがクラス・ワークの講義録を編集したもののようである。
レッスンの総量は、A4の両面印刷で積めば半メートルほどにはなる。期間は、一週一レッスンで、2018年現在、全てを履修する(テキストを受領する)のに16年以上かかる。
このDevies女史のクラス・ワークの講義録を大量に挿入して、長期に及ぶことになった通信講座は、現在のBOTAを考える上で重要かもしれない。
ひょっとしたら、通信講座の長期化が、分派が生じた原因の一つかもしれないからだ。
というのは、上記の二重構造の話でいえば、外陣(あるいはニオファイト)の教授内容が16年以上かかることになる。オカルトをやる人は、一足飛びに「高み」に行きたい人が多い。16年もチンタラやれるかと、こらえ性がない人も多そうだ。
あるいは、Working Buildersを通信講座受講生より上位の者と定義すると仮定する。通信講座を真面目に終えた遠隔地の者と、通信講座を受講中だがテンプル近くに在住してチャプターワークに参加している者、嫉妬と優越感、開けなくていい扉が開いてドロドロしたものが生じそうだ。
さらに、Davies女史のクラス・ワークは、Working Buildersを相手にしていた可能性も高い。そうすると、集団儀式を除いて、知識等における上記二重構造を担保する知識格差が曖昧になる。これは、自らこそ内陣(或いは達人)と思っているようなWorking Buildersには、いかにも面白くなさそうだ。事実、Working Buildersではない人が、BOTAの幹部の半数以上を占めている、BOTAは変質した、と不満を著作でぶちまけている元Working Builderもいるようだ。
このような問題は、一言でいえば、思った以上に通信講座が上手くいきすぎて、それを充実したものにしようと努力した結果、不幸にもケースの当初の思惑を超えた内容の通信講座ができ、予想外のトラブルが生じた、といえるかもしれない。
なお、御多分に違わず、同団及びその周辺にも、いろいろと常識的には胡散臭い主張もある。
曰く、ケースは某「マスター」から物理次元で指導を受けた。ケースの前世はラビである。知られている年表的に怪しいものとして、ケースはKybalionをアトキンソンと一緒に書いた、ケースはGDと同じTarotのカバラ的な帰属を独力で見出した等々。
ところで、同団は、事実上、1922年に1920年ケース設立の「不朽の叡知の社」The Shrine[School?] of Ageless WisdomをB.O.T.A.に組織を変えたものである。
もっとも、後述FLOのサイトで入手できるCaseのワークをまとめた一覧のLessonの表題を見る限り、団体の名称だけではなく、教授内容も若干違う様だ。
また、今日、同団は、通信教育の非常に巨大な団体であるが、Anthony Flemingの__The Golden Dawn American Source Book_所収のイントロダクションによれば、Ann DavieがBOTAを今日の姿にしたようである。
しかしながら、その反動か、どうやらAnnの死後、BOTAはアメリカ本土と海外支部で分裂したようだ。分裂後は本部のLos AngelesからB.O.T.A.-L.A.とも、あるいはB.O.T.A. in Americaと一時ネット等で書かれていたようだ。もっとも、この分裂は、2009年現在、何らかの形で解消しているようだ。
なお、使用タロットはJessie Burns Parksとケースの共同により1931に出版されたいわゆるB.O.T.A. Tarotである。また、BOTAの出版部の出している書籍・テープもWebページで紹介があり、買える。
ケースについては、本サイトのPaul Foster Case研究の項も参照。
2017/01/25改訂
BOTAから分かれた団体。強いて言えば、GD回帰型の団体。1980年代設立。彼らの主張によれば、Ann時代のB.O.T.A.における訓練された7人のイニシェート幹部の一人であり、William ChestermanらからB.O.T.A.の秘密の資料のコピーの一つを託された一人ポール・A・クラーク(Paul A. Clark)氏が、Annの死後、B.O.T.A.から離れて設立した団体。B.O.T.A.出身者らが中心となり創設・活動している団体と思われ、クラーク氏以外にも、Tarot関係の作家が所属している。会員にはBOTAを併行受講している場合が多いと聞く。GD系。東京ロッジ(Fraternitas L.V.X. Occulta - Japan)あり。
おそらくは、クラーク氏に儀式魔術を志向する傾向があり、巨大化したBOTAとそのGD的要素または儀式魔術的要素の薄い通信教育の体制に対する不満等があったのだろう。なお、コレスポンデンスは良いとある方に伺いました。
アーカイブには、FLOのオリジナルの著作は、ケースの作品一覧や年表があるぐらいであるが、他のBOTA系のMLなどでも公開しているケース関係の資料(著作やレターなど)がある。DLできるのはありがたい。なお、これらの多くは後にクラークによる"Paul Foster Case: His Life and Works"(The Fraternity of the Hidden Light, 2013)に収録されている。
また、このグループのメンバーは、著作面でも10冊、20冊と「多作」ではないかもしれないが、良質な内容のものを発表している。最近ではケースの遺稿の発表事業にも積極的であるようだ。クラーク氏は日本で公開の講演を一度なさっている。
なお、以前の東京ロッジの勧誘ページには"A Note for Japanese Students:The F.L.O. is the only Mystery School with direct Golden Dawn Linage operating in Japan."(http://l-v-x.tripod.com/flo/id5.html)と他の団体と差別化した記載があった。ケース・BOTAとやや特殊な人・団体を媒介しているが、GD団という面からみれば国内グループでは一番育ちがよい。
クラーク氏の立場については、彼の"Paul Foster Case: His Life and Works"(The Fraternity of the Hidden Light, 2013)が参考になる。
20150106改訂
Great Beast 666(偉大なる獣666)を自称したアレイスター・クロウリーことEdward Alexander Crowleyの系列として、最も重要な組織は、彼の創設した団体ではないが、Ordo Templi Orientis(OTO、東方聖堂騎士団)である。
OTOは、今日、「魔術」の世界では、最も大きい団体の一つである。1992年当時、世界約20カ国で、約2,100人会員と135の下部組織を有すとされている。
単純計算で約16人につき一つの下部組織を有することになる(1992年時点)。一人でも構成できるような小規模細胞組織会員に作ることを許可し、その結果下部組織を多数所有しているところに特徴がある(規模等によりロッジ、オアシス、キャンプと呼称される。)。彼らの組織運営方法については、"Camp, Oasis and Lodge Master's Handbook"などが参考になる。
もっとも、客観的に見ると、最大手といっても、弱小の新興宗教と比較してもやっと勝てる程度で規模は小さい。
また、多くの日本人魔術同好家の認識イメージや、クロウリー教徒(彼を預言者と信じ、彼のもたらした『法の書』を高次元の存在より与えられた「聖なる書」と信ずる人々。クロウリー信者。以下同じ。)、クロウリーのフォロワーらの自己定義や自己認識は不明であるが、『現代世界宗教事典』などを参照すると、一般には、キリスト教系新興宗教に分類されている(同書451頁には「キリスト教グノーシス主義全体がOTOの中心思想であった」との記述がある)。確かに、OTOが使う、杯と鳩のマークなどは明らかにキリスト教のアトリビューションに属するものであるし、名称自体キリスト教の一派である「聖堂騎士団」の名称を使用しているのであるから、当然の評価であろう。
<Ordo Templi Orientisの歴史> 創設は、1895年以降、概ね1904年を創設とされる。
場所は、ドイツ。
創設者は、Cark Kellner(1851-1905)という財産家の実業家オーストリア人及びThodor Reuss(1855-1923)というジャーナリスト兼オペラ歌手。
創設時にぶれがある理由は、ケルナーはもともと1890年代半ばにOTOを設立しようとしたが、彼が一緒にそれをしようと望んだ人々は、当時、イルミナティ教団(失敗することになった)の設立に関わっていたため、ケルナーの目論見が頓挫していたためと思われる。ケルナーは当時のフリーメーソン内の重要人物であったとされる。
団体の名称については、当時は聖堂騎士団を再評価する機運があり、その流れに便乗した形といえる。
なお、聖堂騎士団の再評価に関しては英語版ウィキペディアなどでも確認できる。興味のある方は確認してほしい。一言でいえば、世俗権力・宗教的権威に弾圧された悲劇の宗教的ヒーローと考えてほしい。
当初よりOTOの上位階級者には性魔術の教授があったとされる。その由来については、概ね以下の二つが挙げられる。
また、当時のヨーロッパでは東洋趣味が盛んであり、学術的には仏教などの経典(所謂スートラから後期インド秘密仏教の性的表現を含むタントラなど)の翻訳など、アジアの植民地などからの貴重な資料の収集(資料の購入や学術的発掘)及びそれらの翻訳・紹介がなされており、また、植民地の出稼ぎヨギ・僧侶らの招聘もなされていた。
ヨーロッパとアメリカでは、タントラの翻訳やヨギらの講義に接した者たちが、それらをソースに、高度な理論に基づく性魔術を想像することが極めて容易であった。多く、上は下の如し、下は上の如しよろしく、万物照応の理により、錬金術の用語を性的に解釈するという、古今東西よくあるパターンを展開している。
内容的には、タントラや人丹術・房中術を参考にした、その劣化版とみてよい。
陰陽和合し、薬を得、それを回光して用をなす。ただ、少なくともバイセクシャルの性的倒錯趣味のあるクロウリーを筆頭とした教材作成者らの努力によって、同性愛や自慰を利用した性魔術も開発されたらしい。この辺りは、余り聞いたことがないので、独創的ともいえよう。
また、東洋では一般民衆レベルでも知られていた、西洋人がSex Magicという分類する、「養生」「房中術」は、「接して漏らさず」が基本であるが、欧米のSex Magicでは放精して、その精液や経血を呪物に塗り付けるといった行為を伴っていることが多い。その点は、私たちが日常的に接し得る「養生」「房中術」とは異なるので注意して欲しい。
なお、東洋でもグルの精液と経血を混ぜたものを飲ませるといったイニシエーション儀式や、それらを呪物に塗るといった儀式は存在する。近代では、一部伝聞によると、テロ組織ととして世界的に有名なM氏が率いた、我が国発祥のA教団にも、M氏の精液や血を使ったイニシエーションがあったらしい。
なお、まじめな修行者に対して、注意を一言。西洋魔術の世界では(他の多くの領域でも同様であるが)、儀式や技法が「書かれた」「作られた」ことが「実践された」とイコールではない。儀式書=台本が書かれたが、実演されなかった演目は実に多い。西洋魔術の文献に当たる際にはその点に注意が必要である。
ちなみに、後世、クロウリーがマクマトリーに「カリフ(caliph)」の称号をプレゼントしたことから、アメリカのOTOの指導者は「カリフ」を自称している[或いは「していた」]。
ここに上記のオリエンタリズムの継承を見ることができる。
カリフとは原意は「代理人」「代行者」の意味だが、通常はムハンマドの「代理人」「代行者」というイスラム用語、歴史的用語である。カリフは預言者の権威は持たない(これはムハンマドのみが持つ)が、宗教と政治の両面の権威を持つものを指す。
クロウリーの異国趣味(『777』の万物照応表では、イスラム圏の文化も摂取しようとの試みが認められる)、あるいはムハンマドと自己を同位置に見る誇大妄想を見ることもできるが、自分を崇拝・賛美するかわいい青年アメリカ人信者へのリップサービスの類と考えるのが、まあ、至当であろう(当時は、この手の金にも、実権も伴わない、名誉称号やチャーターなどの授受・売買は、活発に行われていたようである。また、マクマトリーは第二次世界大戦に従軍したので、カリフの称号を与えた時期によっては、戦地に赴く弟子へのはなむけの可能性もあるが、時期については確認できなかった)。
古き良き大英帝国人のクロウリーは、植民地の伝統や現地人の感情など、歯牙にもかけなかったのかもしれませんし、気にする必要もなかったのかもしれませんが、植民地が解放され、インターネットにより小規模団体の情報が世界で共有される現代において、かかる歴史的宗教的な名称(「カリフ」)を使用(借用・盗用)するのは、少なくともわが国では表現の自由・信教の自由により保護されるとしても、世界的には政治的・宗教的に一定のリスクを負担することになるでしょう。そのためか、近年はあまり喧伝してない印象があります。
組織の形式面では、1902年にKellnerとReussは、John Yarkerというイングランドの聖職売買者ならぬメーソンの位階販売者よりthe rite of Memphis and Misraimというメーソンの参入儀式の変型の版一式の権利(許可証)(ロッジ開設権や参入許可権など)を購入。それを元に現行のOrdo Templi Orientisの位階組織の原型を作った(後にクロウリーにより一部改変されたとされる)。その後、Oriflammeという雑誌を発行し、宣伝会員募集を始めた。
<クロウリーとOTO>
同組織は、組織は基本的には小規模個人サークルとして続き、紆余曲折の上、オカルト世界でGD絡みの暴露出版及びそれに対する訴訟で時の人となっていた、プリマス・ブレズレン派の家庭出身であるクロウリー(1875-1947)の手に落ちた(代表就任1922, 彼が、その主張したように、真実Reussから後継者指名を受けていたかは疑問が残る)。口の悪い人に言わせれば、クロウリーの手によって、彼を預言者、法の書を新世紀の預言書と信仰する魔術グループ(cult)兼彼のサイフとなる。
もっとも、本拠地ドイツのグループは、クロウリーの著作の翻訳を見て、その一部に含まれる偽悪的ないし反社会的内容や当時としては少し過激なエロティックな内容のためか、一緒にされたくないとばかり解散。
一部アンチ・クロウリー派はスイスにて活動を続けた。
これらは、Crowley's O.T.O.とthe old O.T.O.等と区別される(OTO Newsletter Vol.I No.2, 1977, P.21)。
また、後年問題となっるGrant's O.T.O.(Typhonian O.T.O.)について、いわゆるCaliphate O.T.O.(Grady L. McMurtryのO.T.O.)の見解ではGrant's O.T.O.はCrowley's O.T.O.ではないとされる。
クロウリー支配下のOTOは、自らを「新世紀の預言者」と模す勇ましいクロウリー語り口(書きっぷり)の割には、過去の預言者たち、世界帝国を設立したムハンマドや処刑が必要な害悪と敵対者に思わせたイエス(イスラムでは、彼は、救世主ではなく、預言者の一人である)ほどの影響力はなかった。
信者・賛同者の数や社会的影響力、そういった面では、彼の死に到るまで、日本の週刊誌やワイドショーでときどき話題にある一軒家やアパートで信者を囲っているカルト程度かそれ以下に止まっていた(生前、クロウリーは"AA"などの影響力が伸びないことを悩んでいたともいわれる。)。
ただ、クロウリーは、人種(白人)や言語(英語)、当時の既にあったオカルティストのネットワークといった側面で、彼らより恵まれ、結果的にワールドワイドな活動をしていた点を忘れてはならない。また、著作の数ではワイドショーに出てくる教祖様にたぶん勝っていると思われる(ワイドショーの教祖様の執筆活動を承知していないので多分です)。
加えて、当時は薬物(LSDやヘロイン)が合法であった時期があり、それらの中毒患者であったクロウリー(日記等の記述を参照せよ)は、薬物を利用した儀式的な幻覚・幻聴の体験をしている。これらの体験の記録、それらをもとにした一部の人を惹きつける理論や詩文を、クロウリーは残している。人によっては興味のある作家であろう。
(なお、薬物による幻覚等はシャーマニズムでも一般的である。ただし、ある説話として、ヨギが瞑想をしながら、致死量にも及ぶ多量の薬物を摂取しても、中毒にもならず意識を保ったまま、通常の手法によるエクスタシーの方が大きいと証言したという話があり、それを持って、クロウリーが中毒であった点を非難することも可能である。ただ、国内法上現在は、かかる体験はできないので、自ら比較考証できない話である。また、記録内容の誠実性の問題は残る。)
また、クロウリーの体系は、GDから継承したものに、ヨガを混ぜて、その上に自らの法の書などで味を調えたものである。
材料の一つヨガについては、アーナンダ・メッテア(Ananda Metteya)、すなわちアラン・ベネット(Allan Bennett,1872-1923)、及びベネットのセイロンにおけるヨガの師でありセイロンの検事総長でもあったラマナタン(Ponnambalam Ramanathan, 1851-1930、正統派Shaivite guruのSri Paranandaとしても知られている)から手ほどきを受けたようである。ラマナタンは、神智学協会のHenry Steel Olcott (1832-1907)の活動の協力者であり、神智学協会系の人脈と思われる。
クロウリーはベネットか従前よりヨガの訓練を受けていたと思われる(酒やドラッグも彼が仕込んだと思われている)が、ベネット以外からヨガを学んだ期間はあまり長くないようなので、正当な師伝という意味では、ヨガについて半ば独学であろう(1900年ごろにセイロンで学んだと思われる、1901年8月21日から2週間程度と思われる。)。もし純粋なヨガの研究として彼のヨガ論を検討するならば、一定の注意が必要であろう。このあたりは、日本のOTOの人らの今後の研究発表を待ちたい。(Richard KaczynskiのPerduraboを参照)
さて、OTOに関連しては、クロウリーの死後、Karl J. Germer(1885-1962)が4代目として、細々と布教活動をしていたが、Germerの死後、後継者を指名しなかったため、Germerが集めたAC利権等を賞金に後継者争いが勃発。その後、1969年アメリカの裁判にて、アメリカ人OTO活動家 Grady (Louis) McMurtry(Frater Hymenaeus Alpha( 777)、1918-1985)(Caliphate O.T.O.,COTO)が、ブラジル人マルセロ・モッタ(Marcelo Motta, Society O.T.O., SOTO)に勝利した。アメリカで外国人が勝つのは大変らしいので当然であろう。
また、モッタとの裁判以外でも、イギリスとの関係で遺産管理人からクロウリー関係の権利を買い取りや、クロウリーのフォロワーによる幼児殺害事件についてOTOとの関連性を示唆したメディアに対する訴訟を起こすなど、各種権利関係の整理や組織防衛にマクマトリーらのOTOは力を尽くしたようだ。このあたりについは、Wikiなどに詳しい。
その後、McMutryを中心に、70年代のオカルトリバイバル(その過程でOTOの文書が公開されている。)、及びクロウリーのオカルト業界での知名度を利用して、クロウリーの本や音声テープを出版することによって布教及び資金を得て、順調に規模を拡大(これらの資金は上記の裁判費用や権利購入費用にも使用されたようだ。)。
McMutryの死後、OTOは代表者を匿名とし、AlphaをBetaに変えた人がOHO(団体の代表者)をしている(法律上可能なのか不明、「(宗教)法人」組織なので、たぶん所定官庁に行って調べれば分かるんじゃないかと思う)。ある意味では、匿名の代表者をすることによって、組織として確立し、また、クロウリーの陰に組織を完全に隠したといえよう。
OTOの発達を見るとき、個人的にはGermerがその躍進の原因であると考える。Germerは後継者を選ばなかったことなど、批判もある。しかし、彼は、社会的不適合者或いは犯罪者を積極的に破門排除し、組織面で一般のオカルト好きが入り易くしたと想像される。また、Germerは、クロウリーの著作権などを入手しその権利者をOTOにすることによって、組織の財政面を強固にすると共に、クロウリー信者に対しクロウリーの唯一正統の後継者であるとアピールすることを可能にした。さらに、拠点をアメリカにした点も地政学上大きい。これら諸点に鑑みると、Germerなくして現在のOTOなし、と結論付けてもよいだろう。
なお、OTO以外にも"Thelemic cult"は多く存在する。
いわゆるCOTOの組織運営の方法については、Camp, Oasis and Lodge Master's Handbookなどが参考になる。
<儀式や修法について>P. R. Koenigの"How to Make Your Own McOTO"、Francis Kingの"The Secret Rituals of the O.T.O."、O.T.O.のStudy Guideなどが参考になる。
<A∴A∴について> クロウリーは、OTOとは別途自ら設立した魔術団体としてAAを立ち上げている。名称はArenteum Astrum、ラテン語で「銀の星」の意味である。
1904年の設立。直接的には、ACがマサースに自分が秘密の首領によってGDの首領に任命されたといった趣旨を主張し、相手にされず、GDから追い払われた後、彼がその補完として設立した団体といえる。
クロウリーにより彼のテレマの宗教をベースに黄金の夜明け団を参考に設立された団体。クロウリーは生前AAの組織が広がらないことにしばしば不満を漏らしていた。クロウリーの死後いくつかのリンケージが、主に北アメリカとヨーロッパ大陸に残存していた。近時、モッタの系統のAAで、COTOを認めた一派(J.Daniel.Gunther)らの躍進が目立つようである。
キングの『クロウリーの魔術世界』、『現代世界宗教事典』、グリアーの事典、Kaczynskiの"Perdurabo"、Martin Starrの"Esoteric Rosicrucians, The - The Beginnings of the OTO in North America", J. Edward Corneliusの"The Magickal Essence of Aleister Crowley"などを参照。
また、クロウリー及びOTOに関してはOTO日本の責任者(2014年時点)のHieros Phoenix氏が「OTO東方聖堂騎士団」という小冊子(PDF)を配布しているので、興味がある方は参照されたし。OTO内部の暴露的なものとしては、Satyrの"The Black Lodge of Santa Cruz"、現在のCOTOに対する批判的分析はT Allen Greenfieldの"Agony The Decline of U.S. Grand Lodge OTO"を参照されたし。また、日本語版Wikiの東方聖堂騎士団の項も詳しいので参照されたし(おそらくOTOの中の人たちが書いていると思います)。また、日本語サイトのリンクにあるIMNサイト掲載のクロウリーの伝記も参考になる。
2017/10/23改訂
ダイアン・フォーチュンの系列は、大沼氏の一連のバトラーの著作の紹介により、わが国の西洋魔術の導入に当たり、非常に注目された系統である。しかし、フォーチュンの著作は、魔術技術そのものをあまり公開しない傾向があったり、大沼氏に続く魔術の紹介者の一人秋端氏などが、単なる紹介者や外資系結社の日本代表といった立場ではなく、独自路線を採用しているため、現段階でそれほどの影響力を有していないかもしれない。
1998年にDennis William Hauckによって創設された。錬金術のギルド。ラボラトリー系の錬金術の研究がなされている。