筆者は、クロウリーを預言者、『法の書』を預言書と、理解し、受け入れている者ではありません。
故に、筆者は、クロウリー信者(彼を預言者と信じ、彼のもたらした『法の書』を高次元の存在より与えられた「聖なる書」と信ずる人々。以下同じ。)、クロウリーのフォロワーやファン、セレマイトでもありませんし、O.T.O.(東方聖堂騎士団又は東方聖堂修道会)又はA∴A∴(銀の星)の構成員でもありません。
どちらかというと、クロウリーに否定的立場です。
なぜなら、彼の伝えられる行いや人となりが尊敬できないからです。
そして、このような考えをおろかと断ずる人も多いかと思いますが、
尊敬できない人の教えを、わが一大の教えと奉ずることは私にはできません。
宗教や思想は実践の学ですから、宗教や思想の人は、その口から発したものや書き残したものではなく、
行いによってこそ、その教えの価値を判断されるべきと思います。
筆者は、あくまでも、自分の見解を形成する上で、先輩の一人であるクロウリーの先行研究を、参考にさせていただいている、そんな一人にすぎません。もしあなたが、学者としてアレイスター・クロウリーの研究者になりたいのならば、こんなページなどチェックせずに、クロウリーの遺品(未発表原稿等)や著作権を手中に収めているCaliphate O.T.O.(Grady L. McMurtryのO.T.O.)や、AAとコンタクトを取った方が良いでしょう。「魔術師」として彼の方式に従いたいという方も同様です。
筆者は、クロウリーのフォロワーではありませんが、フォロワーの方が「彼と同時代に生きていたら、一緒に作業はしなかった(彼をマスターとして仰がなかった)けど…」とのお話を聞くと、一部の方は、彼を自分にとって都合のいい死んだ英雄として、玩弄しているのではないか、そのような疑念を覚える捻くれ者です。
そして、そのありようを、以前見た、オウム真理教の一連の事件の後、その信者がTV取材に対して同教団が翻訳した仏典を手に取り、
このような、AC及びその信者たちについて、斜視している筆者の書いたものですから、彼を預言者と信じ、法の書を預言書と信じている真面目なクロウリー信者・セレマイトの方にとって、不快な表現等がある場合があります。
なお、「そんなら研究するなよ」とご批判をなさる方もいらっしゃるかと思います。
これに対しては、クロウリーの思想や技法が西洋魔術の世界においてメジャー・トレンドの一つを形成していること、彼自身の研究や著述(初期のものにはGD内部で研究・口授されていた内容も含まれる)にも見るべきことが多いこと、かつ、それに参加する多くの真摯な魔術研究者の存在があり彼らの業績を無視することはできないこと、などを指摘したいと思います。現状では、嫌でもある程度クロウリーに関連する事項を勉強しないと、GD系統の魔術の研究をやってくのが難しいのです。
また、本稿は、本サイトの他の記事と同じように、筆者や研究会参加者が、勉強のための覚書を移動時間等の隙間時間にネットで参照することができるように、と執筆・公開されたものです。
日本国内にはOTOのロッジが既に存在し、日本人メンバーも参加していることが確認されています。より詳細な研究は、彼らによる公開を待つことにしたい。
聖守護天使は、一般的な伝承である守護天使に「聖」を付けたものである。直接にはアブラメリン奥義書(『術士アブラメリンの聖なる魔術の書』)の用例に従った者と思われている。マグレガー・マサースによるアブラメリン奥義書は1898年であるから、その前後に定着したの「用語」である。
ただ、大天使ミカエルを聖ミカエルと呼ぶように、それほど深い意味があるわけではなく、日本語の「お〜」や「〜さま」と同じぐらいの意味だったと思われる。現在では、聖守護天使は、テクニカル・タームとして、黄金の夜明け・クロウリーの影響下にある魔術シーンでは使われている。
また、しばしば古代ローマのゲニウス(守護神といったぐらいの意味で英語の天才、ジーニアスの語源)、あるいは古代ギリシャのダイモーン(いわゆるソクラテスのダイモーン)との関係で論じられる。黄金の夜明け団が教義文書で「高次の天才(ハイアー・ジーニアス)」の語と聖守護天使を同一視する傾向にあるので、その点では妥当である。
しかし、アブラメリン奥義書での聖守護天使は、ユダヤ教やキリスト教の伝承の守護天使を直接の由来としていると思われる。とすれば、このゲニウスやダイモーンと直接につなげて論じるのは、史実を無視した「作為的な概念の操作」と思われる。聖守護天使の用語の意味・概念を把握するときは、論者の主張が反映される、「操作的なな概念、道具的な概念」ある種の「創作」の概念であることを頭の片隅に置くことが良いと個人的には思っている。
この魔術シーンにおける聖守護天使に関しては、その捉え方において混乱がある。この混乱は、概ねクロウリーが発信源であると思われる。クロウリー自身が一生の中でも捉え方の変遷があったからだ。
具体的な検討に当たっては、以下のような事項を検討することになろう。
ただし、クロウリーに乗る人はクロウリーの用例だけ検討すれば足りるだろう。なお、近時では、特にアメリカなどでは博士号を取得しているオカルティストも増え、より学術的なThe Supernatural Assistant(S.A.)というより用語(おそらく守護天使よりも包括的で一般的な上位範疇の名称と思われる。)で説明することを好む者もいるようである。
これに加えて、実践的な観点からは、聖守護天使の呼び方(呼ぶ儀式)が問題となる。
一般に、クロウリーによる『げーティア』に収められてた準備的召喚(生まれなき者の儀式の簡略版)、『黄金の夜明け魔術全書』所収のリガルディによると思われる「高次天才の召喚、生まれなき者の儀式」(下巻)、クロウリーの『魔術:理論と実践』及びリガルディ『召喚魔術』所収の「サメクの書」、クロウリーの『霊視と幻聴』の第八の領域に関する箇所を参照する。
この問題は、前提としてアビスの存在を必要とする。そこで、前提論点として、そもそもアビスとは、何かが問題いとなる。
有名なアビスだが、意外と魔術関係の事典にはその記述がない。今回は数少ないアビスに言及する記述のうちNevill DruryのDictionary of the Esoteric(2002)の解説を紹介する。この内容は、概ねの人々のコンセンサスではないかと思う。
"Abyss In magical and kabbalistic terminology, the gulf between the Trinity (represented by Kether, Chokmah, and Binah on the Tree of Life) and the remaining sephiroth of manifested existence. Occultists believe that only adepts can bridge this gulf to higher spiritual consciousness. The Abyss is sometimes associated with the so-called "eleventh sephirah", Daath."
「深淵 魔術及びカバラの用語においては、3つ組(生命の木におけるケテル、ホクマー、ビナー)と顕現された存在である残されたセフィロートの間にあるみ裂け目(大きな隔たり)をいう。オカルティストは、達人だけがこの裂け目乗り越えて高い霊的意識に到達できると信じている。この深淵は、しばしば11番目のセフィラーといわれるダースと関連付けられている」
また次に、誰が、いつ提唱した概念か、問題となるが、これについては残念ながら明らかではない(深淵に該当する言葉は、箴言などにも見出されるが、直接にはアリの容器の破壊などの理論が影響しているのではないかと思う。)。
アビスについては、その言葉自体は一般的であるが、この特殊な使い方の出自は極めて不明瞭なようだ。
クロウリーの見解に乗っかる人は別に問題はないが、そうでないならば、勝手に概念を作って、勝手に超えた超えないと論じている可能性もあるので、取り扱いには注意が必要であろう。
更に付言すると、そもそも論として「神と人との間に隔たり(Abyss)がある」(このアビスの問題はしばしばこのように言い換えられる)、この発想自体が普遍的なものではない。
この点にもぜひ注意して欲しい。
なお、「クロウリーの系譜に属するもの」としては、J. Edward CorneliusはThe Magickal Essence of Aleister Crowleyの一章(18章)をアビスに当てているし、J.Daniel.Guntherはクロウリーのこの手の話をより理論化・精緻化して論じている。また、「クロウリーの影響を受けたもの」としてはDion Fortune(1891ー1946)のMystical QabalahにおけるAbyssの記述がある。後者については、インターネット上でデータとしても入手できるので、それを「Abyss」で検索して該当箇所を確認して欲しい。
クロウリーとのその門徒は、独特な位階論を保持し、それに従って思考している。
彼らの本を読むためにはその概要を知っておく必要がある。以下に示したのは彼らの位階論の設定の一部である。より上位のものもあるが、大抵はこれぐらい知っておればこと足りるように思われる。
まず、クロウリーのAAでは、従来のGD(彼は、AAの第一団の名称にGDの名称をそのままパクっている。)とやや違うので注意が必要である。0=0にプロベイショナーが入り、ニオフェイト以降が一つ上にずれ、調整のためにセオリカスが抜けた形である。
また、クロウリーのOTOの位階についても、一応知っておかないと彼の読み物を読むときに苦労する。彼らはこの位階に、チャクラやエレメント、方向、色彩などを当てはめている。カバラのセフィラでは、大地の男に9と2、男に3、魔術師に4・5・6、師魔術師に8、完全な魔術師に7といった具合である(訳語は適当である)。
AAの位階
OTOの位階
作成の経緯について。
クロウリーの著作は、広範囲にわたる。彼は著作に番号を振っているが、その番号は文書の内容やテーマについてゲマトリアの技法を用いて割り振ったものであり、体系だって編纂されたとはいない(下の表にも出てくるが同じ番号が振られた文書さえある)。そのような状況の中で、クロウリーの儀式の技法や特徴を軸に、その著作を分類し、編纂することは、クロウリーの勉強をする際有益だと思い作成した。
分類方法について。
採用した分類方法は、2014年ごろ、日本OTOの代表(ハイエロス・フェニックス氏)が、インターネット上、おそらくツィッターにおいて、「クロウリーの儀式群A.'.A.'.&O.T.O. Crowley's Rituals」と題した画像データ(甲)により、紹介したものである。ただし、分類を公開した同氏のアカウント(記録を採っておらずアカウント名等は不明)は、現在非公開又は削除されており、確認できない。そのため、本表の作成に当たっては、筆者が甲を書き写したものを参照した。
作成に当たっては、他の刊行書籍及びインターネット上の記事等を参照し、正確を期した。しかし、甲の画像に不鮮明なところがあったため、誤写等の誤りがある可能性がある。参照するに当たっては、注意して欲しい。仮に誤りがあった場合、その責任は筆者に帰属する。
また、表中、示された文書を発見することができなかったものもあるが、参考のため転載した。
なお、本分類については、その分類の意図について筆者の理解が及ばない箇所があった。筆者はクロウリーの研究者ではないので、理解が及ばない箇所については、素直に参照した分類に従っている。
表中、Liber ABA, Book 4とあるのは、1997年版の第2版(2008年印刷)である。また、国書版とは、国書刊行会発行のものである。国書版MTP1、国書版MTP 2は、国書版『魔術:理論と実践』(上巻), 国書版『魔術:理論と実践』(下巻)を意味する。
完全追儺とあるが、「追儺」という表現は正しくはないと思われる。クロウリーは、本書を「万時を一点へと集約するもの」「多者の意識を『一者』の意識へと融合する」ものとし、三種類の方法を提案している。
端的に言えば、「私はこれではない」といったような否定を重ねることにより残った一点(これを「一者」、「真我」、「無我」いかなる呼称で呼ぶかは人それぞれだろう。)を目指すことを求めたものと評価できる。
第一の方法などは、細部が曖昧であり、執筆時には、理論的にはそうなる、といった「試論」「草案」であったと思われる。ただ、全体的にその内容は、「法の書」を絡めておらず、比較的同意を得やすいものと思われる。
なお、第一の方法の11にある「呪詛すること」は、私の目から見ると、目的達成のためには妨げである。それは執着だからである。無分別智を志向する方が良いと思われる。彼は、コンプレックスが強いようで、しばしばこのような「拗らせ」を見せている気がする(キングの『クロウリーの魔術世界』にはキリストを冒涜する儀式をしていたことが記載されているが、それ等は良い例であろう。)。
参考になりそうなもの
Fr. H'yitem k-Elohim 1131 "Notes on the Star-Ruby" OTO Newsletter Vol. II No. 2(1978) pp.16-19
関係書籍を調べたり、ネットで検索をかけたりする上で、人物関係が分からないとこまるので、調査上上がった人物を挙げた。英語版Wikiで検索すること。
5-1. いわゆるAAがらみ
[Karl J. Germer(1885-1962)-]Marcelo Ramos Motta (1931-1987)-J.Daniel.Gunther(グラトニーのOTOにおける権威を認めて合流?した、近時日本でも注目されているモッタのリンケージのAAの論客?)
【付記】OTO JapanのHierosPhoenixの日記の2015-01-23 The Eye in the Trianglにちょっとした解説があったので、参照されたし。上記記事によれば、EshelmenとShoemakerは別個に活動されているようです(喧嘩してるかは不明)。(2015/02/02)国書刊行会による一連の出版、日本のOTO代表(2014当時)であるHieros Phoenix氏がOTO_Intro_ver_1.4で挙げている本。
個人的には、以下の書籍が参考になるのではないかと思う。