Magical Mottoは、現在は、最初にイニシェーションのとき、或いは何らかの節目の際につけるマジシャンの名前である。
このMagical Mottoは、当初はオカルト関係の活動(著作の発表など)の際に使用する、単なる偽名・別名として登場したと思われる。
オカルト関係の活動により異端等の疑いを掛けられ、離職など社会的な迫害を受けることを防止するためであったのだろう。あるいは、一部の階層では文学等の書物を書いて発表するあるいは売るということがその階層に属する人物としてあまり好ましくないとする風潮に沿ったものかもしれない。
もちろん、何らかの必要性に基づいていたとはいえ、偽名をつけるに際しては、そこに、著者の理想とするものなど、何らかのメッセージが篭められていたのは当然である。しかし、あくまでも当初の主目的は、教会などの社会に対する偽装であったと思われる。
そして、この偽名・別名を使用するという習慣が、単なる正体を隠す別名から、自らの魔術的中心的目的や方向性を表現するものという現在の用法に従って用いられるようになるためには、19世紀後半の訪れを待つ必要があった。
19世紀後半になり、やっとオカルト研究は、教会の異端審問の目から逃れることが可能となり、かつ、イギリスにおいてはある程度許容される趣味と認められたことにより、正体を隠すという意味でのMagical Mottoの役割が終了したからであろう。
そして、20世紀になり、W.E.バトラーなどのIL・SOLの魔術師らの著作により、このMagical Mottoは、魔術的人格の問題と結合し、単なる偽名を超えて内面的意義を有するものとなり、今日に至っている。そこでは、既にMagical Mottoという名称ではなく、Magical Nameとの名称が使われるようになっている。
また、マジカルモットーをつける風習は、ネオペイガンのクラフトネームにも受け継がれた。
マジカルモットーは自分も含め、「恥ずかしい」モットーをつけることが意外と多いです。
後々になって、身もだえしたくなるときもあります。
まあ、GDの初期団員のようにメイソンの高位位階者ではなく、初心者のいろいろとよく分かっていないときにつけるので、致し方ない。
特に、日本だと、少年少女向けのアニメ、マンガ及び小説の影響を受け、かっこよさげな単語を繋げて、作る人も多いようです。
しかも、モットーではなく、マンガの主人公のいわゆる「二つ名」的なものをつける方ままいます(複数実見しております)。
なお、辞書的な二つ名は「本名以外の呼び方。異名。別名。また、あだ名。」なので、マジカルモットーも確かに二つ名といえるのかもしれません。
しかし、マンガ、小説で使われる二つ名は、概ね過去の実績などから敬意などから実名を他人が言うのをはばかって付ける別称のようなので、後者の意味で
「二つ名」を使っています。
そして、このような「二つ名」は、他人が対象となる人を賛辞して付けているものなので、それを自分で作ってのマジカルモットーにするのは、 ぶっちゃけ自分で自分を賛辞して、かつ、それを相手に呼ばせるのですから半ば無理やりそれを相手に自分を賛美させているようなもので、余りお上品 ではない。
ちなみに、「聖なる宇宙」という魔法名は実際にありますが、これは、あくまでもモットーであり、聖なる宇宙を賛美するものであって、本来的な意義において、 自分を指すものとして使っている(自分が聖なる宇宙といっている)わけではないと思いますので、事情が違うでしょう。
モットーを、あくまても、他人呼称に「転用」しているだけです。
イメージ的には「やあ、米沢のの○○さんどうしたのですか」を略して「やあ、米沢の、どうしたんだい?」といってるようなものでしょうか。
つまり、一言でいうと、
マジカルモットーはあくまでもモットーなのでネームではない、
ということです。本来は。
まあ、これはたぶん、マジカルモットーや、家を表すモットーみたいなものが日本の風習になので、法名、洗礼名とかののりで、魔法名とマジカルモットー と訳した人に責任があると思う。(これは、当初マジカルネームの訳語だったものが、魔法名という単語が業界筋で定着しマジカルモットーの訳語に転用 されたのかもしれない)
また、かっこよさげな単語を繋げて見たけど後でよく後悔するのが、その「かっこいい」は、日本国内でしか通用せず、後で本来の意義や正確な意義、 単語の背景、海外での使われ方を見てショックを受けるといったケースです。
このケースは、日本のCMのキーワードやマンガ、アニメ、小説を参考にした場合などよくおきるようです。
CMやマンガ、アニメ、小説は、作家の教養のなさが理由や、語感…響きがかっこいいから、などの理由に基づき、その単語の表面的な意味だけを使って、 「雰囲気」「かっこよさ」を演出している場合が多いです。
偏見ですが、アホな白人さんの結構悪いへたくそな漢字の刺青なみに信用できないことも多いです(自慢されても日本人独特の微妙〜な笑いで誤魔化 す羽目になります、指摘しても「消せないので」(最近は消せるようですが…)、セクシーといって「淫」はないと思う、セクシーよりnymphomaniacとは怖く ていえない)。
一度しっかり辞書を調べた方が、問題を回避できます。
なおラテン語を使う場合、インターネットなどでも基礎的な文法は確認できます。
まあ、マジカルモットーで呼び合うのは、秘密の会合で、互いに正体を隠して符牒で呼びあう、正に「××の」といったのりが元でしょう。儀式文書でも確か「我々の間では○○とだけ知られる…」といった台詞回しもありますから。
そして、冷静に見ると、このモットーで呼び合うのりは、秘密クラブの雰囲気を楽しむフリーメイソン由来のお遊びの側面がありますし、全うな人は未経験の世界。
加えて、家や自分のモットーや座右の銘でどうこうする、という風習が少なくとも現代日本にはないと思う。(「○○の」は日本ならモットーではなく、出身地、家紋、動植物の名前、或屋号、名前の漢字一文字、などが符牒として好まれると思う。)
そう考えると、自分らがへんてこなマジカルモットーつけるのは、しょうがないかな〜とも思います。
ぶっちゃけ、自分は、マジカルモットーをつけるとき、「魔法『名』をつけるぞ」と思って、モットーであるということは、すこ〜しも意識しなかった記憶がある。 変えようかなとも思うときがあるが、流石に変える理由が「恥ずかしいから」は、本当に恥ずかしいので変えていない。
昨今は、魔術的人格(パーソナリティ、ペルソナ)と結合させて扱うのも有力です。
これは、おそらくバトラー辺りに由来する見解です。
そして、SOLのノーウィッキ女史など、マジカルモットーではなくマジカルネームという用語を採用している。
ノーウィッキいわく、
マジカルネームは、あなたが、あなたの内なる力を使う自分を識別するもの、内なる世界に繋がるための電話番号。
日本では、マジカルネームについては、バトラーの魔法入門が唯一の文献になっている。
そのため、日本では、この見解以外は見ない。
少し勉強した方は、魔術師たるもの必ず魔法名(マジカルモットー、マジカルネーム)を持つべし、必要条件であると考えるのではないだろうか。
ただ、たぶん、この使い方は、SOL、バトラーの系統の独自説に近いと思うので、世代がバトラー以上の著者の著作など、バトラーの影響を受けていない著作などを読むときは、ある程度注意をした方がいいかもしれない。 (バトラー以前の著者や著作で、マジカルモットー(ネーム)と魔術的人格を、明確に関連付けて論じている例をご存知の方、お教えください。。)
もちろん、バトラーは、今日ほとんどの魔術師に読まれているので、英語圏の西洋魔術の影響下にあるところすべてで、この説が当然のものとして流通していると思われます。
また、この魔術的人格とマジカルモットー(ネーム)を結びつける方法が、在家魔術師には非常に有効である点は疑いはない。