「黄金の夜明け」「魔術」体系の目的


「魔術」の目的とは何であろう?

 「魔術」の目的については人によって争いがある。
 かつて、魔術や呪術は、共同体の持ち物であった。
 共同体の持ち物であった魔術の目的は、共同体の安寧秩序、食料面での五穀豊穣、狩猟や漁の成功、外敵(他国や厄病)の排除などであった(護国・鎮守)。これらの魔術は、行事として社会に組み込まれ、世俗的側面を持っていた。
 この名残りは、伝統的な日本の宗教、仏教・神道の行事に、そして、西洋のキリスト教の行事としても、色濃く残っている。

 しかし、私たちの共通の関心である西洋の魔術は、魔術を禁止するキリスト教の西欧における国教化に伴い、正統な社会から排除され、共同体の持ち物ではなくなった。いや、その始まりにおいても、いわゆるプラトンなどの哲学の影響を受け、社会ではなく、一人一人の個人によるものとして、生じたといってもよいかもしれない。
 そのような系譜を継ぐ現代の魔術、「我々の魔術」もまた、その興味の対象は、個人的なものである。すなわち、一方においては、もっとも低劣な個人の欲求に答える外道な呪術・妖術であり、他方においては、個人的な神秘体験を求める欲求に答える神秘主義的色彩をまとった魔術・神働術である。

 当研究会の関心は、外道な呪術・妖術的側面の魔術の上にはない。

 そこで、神秘主義的な魔術について語ろう。
 私の考えるこの「魔術」の目的は、安心立命、あるいは大いなる平安、完全なる自由への解放である。
 英語で言えば、 Perfect Happiness, Perfect Liberty, Perfect Peace, The Unfoldment of a Higher Consciousnessである。

 魔術の目的とよく考えられている物質的願望達成や不可思議な技を行なうことが魔術の目的ではない。
 それらはあくまで付随的なもの、あるいは手段にとどまる。なお、ここに自由いうとは、物理的な貧困や欠乏からの解放のみならず、精神的な苦痛からの自由をも含む考えで、よく言われる「他の掣肘なく物事を行なえる」という意味の自由ではない。

 このような魔術に対する態度は、黄金の夜明けのニオファイト(新参入者)儀式閉式の最後においては、下のように表現されている。

 May what we have partaken maintain us in our search for the QUINTESSENCE, the Stone of the Philosophers. True Wisdom, Perfect Happiness, the SUMMUM BONUM.

 われらが食せしものにより、われらに≪精髄≫すなわち≪哲学者の石≫の探求を続けさせたまえ。≪真の叡智≫、≪完全なる幸福≫、≪真善美≫の探求を。

全書上, 191.

 しかし、この表現は、美しくはあるが、まだ十分な説明ではない。

 そこで、黄金の夜明け魔術の体系についての権威筋、黄金の夜明け魔術の一般への紹介者である故イスラエル・リガルディの意見を聞いて見たいと思う。
 リガルディの若き日の見解は、『全書』の「まえがき」に十分書かれている。詳しくは、そこを読んでもらいたい。ここでは、晩年のリガルディの見解を『最後の覚書』より引用する。
 読み比べれば、黄金の夜明けの魔術体系の目的について、リガルディは、晩年においても、若き日と同じ見解に立っていることが分かるだろう。

 リガルディは、魔術・大いなる業(Great Work, Ars Magnum, Magnum Opus,)、或いは、黄金の夜明け魔術体系や他の正統的秘儀参入体系の目的、あるいは存在意義について、次のように述べている。

〔大いなる業の目的は、〕人を全き者にすること…自分の存在意義、自分の重要性、人間としての仕事についてより深い洞察を与えること   リガルディ 最後の覚書(1992) p.172(〔〕内筆者)

 ここにいう全き者、即ち完成された人間とは、「自分の性質全体のあらゆる隠れた面を知り、それを意のままに活用する方法を知る人」をいう。

 そして、リガルディは、GD体系がある特定の訓練、瞑想、そして儀式の三つを「非常に熟練した方法で組み合わ」し、それによって「自分自身の成長に参入し、真の自分になろうとし得る能力のある学徒は、この膨大な知識を授かり、それを自分自身に適用し、それによって、――<小達人位階>の一節を借りるなら――徐々に自分自身をその必要不可欠な神性と合一せしめ、かくして人間以上のものとなる」ことを手助けをすると考えている。

 リガルディの全き者の定義と所謂自己実現の考えとの類似性を見た場合、魔術は多く精神分析学や分析心理学といった深層心理学と領域を接する。ただし、魔術ではシンボルなどをただ人間の性質のみを表しているとは考えない。また、人間を含め全ては一者の顕現であると言った考え、あるいは上下一如を強調する。なんらかの心霊的な諸力と存在を前提或いは仮説として広く受け入れるのである。人間と宇宙のコレスポンダンスを強く主張する点で多くの心理学者と立場を異にする。
 魔術では多様なシンボル、神話、寓話そして教義が人間と世界の性質の各局面を表していると一般的に考えている。魔術ではそれらへの理解と共感によって自らの意識に連想を形成し、象徴などの操作によって自らの意識に変化・変容を形成し、高次の意識、真の自己、全一、神との合一あるいは同一であることを認識・納得させるのである。(注1)


秋端勉の見解

 魔術の目的について、I∴O∴S∴の主催者である秋端勉氏が、かつて雑誌ムーの取材に答えた文書(『ムー』No.161、1994年4月号、学研、P.97)を発見した。諸氏の参考になる意見と思われるので、以下引用する。

「われわれの最終的な目的とは”自由”になることなんです。魔術をつきつめてやったからといって、われわれ小さな一個人が、大きな宇宙に対してできることは限られている。ただし、魔術を使えるという感触を自分でつかむと、時代や環境や社会に生かされている自分から脱して、自立的に生きられるようになるんです。『黄金の夜明け』団ではこれをSummum Bonum(完全なる善)と呼んでいます。英語でいうと、パーフェクト・ハピネスですね。これが意識の究極状態です」
上記引用の0=0儀式の文言の適切な解説であろう。


(注1):これについては、以下のプラトンの言葉(『パイドロス』294C-D、藤沢令夫訳)が連想される。すなわち、

「人間は実にこのように、想起のよすがとなる数々のものを正しく用いてこそ、つねに完全なる秘儀にあずかることになり、かくてただそういう人のみが、言葉のほんとうの意味において完全な人間となる。」


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作成者: TRK
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