ルシャン,ローレンス(Lawrence LeShan)著 大窪一志訳
『瞑想入門:自己発見へのいざない』
シリーズ・サイコ 1‐図書出版社 1994
紹介


コメント

 私は古本屋が以外と好きだ。街角で古本屋や古本市を見かけると、その場で数分覗いてみたり、場所を覚えて帰り道や休日に覗きにいく。常に見つけたら買い求めようと考えている本は何冊もある。しかし、特別に探しているわけではない。ただ並んだ背表紙のタイトルを眺め、面白そうな本は目次と注、それと値段を覗いてみる。
 財布の重さと関心を引かれた度合いによって買うか買わないか決める。

 効率の良い資料集めではない。しかし、止められない。
 古本市のカートや本棚を周回するとき、さながら密林を狩する狩人のようになる。鋭く辺りを見回し、タイトルと経験に基づく嗅覚によって、今必要な本を探り出すのだ。  現実の狩りと同じように、探った場所や射ぬいた獲物に成果がないことも多い。同じように予想外の当たりを射ぬく事もある。だから、この方法を止められない。

 予想外の当たりはいわゆる魔術書ではなく、学術書であったり、How-To本であったりする。しかし、今必要なもの、いま問題としているものについて多くの示唆、視点、分類、まとめを与えてくれるものが多い。

 昨日、2003年の正月十日にたまたま立ち寄った駅近くで行なわれていた古本市で買い求めた数冊の本の中の一冊もその一つだ。

 トラファルガー病院の応用生物学研究所心理学部門責任者のローレンス・ルシャン(Lawrence LeShan)著 大窪一志訳 『瞑想入門:自己発見へのいざない』 シリーズ・サイコ 1‐図書出版社 1994である。解説・訳者あとがきなどをいれて262頁のハードカバー、定価は本体1800円だが本体600円で買い求めた。
 (シリーズ・サイコにはミンデルの『シャーマン・ボディ』などもエントリーされています。)

 原書は_How to Meditate: A Guide to Self-Discovery_.1974.と少し古い。しかし、帰りの電車、昨日から今日にかけての深夜に読んだ範囲では凄くいい。今まで邦語で読んだなかでは「かなり」出来がよい。書き方も極めて理性的・科学的で、特定の宗派に囚われず、スーフィー、キリスト教神秘主義、仏教など幅広く取材し、著者が考えた一般的な分類モデルに従って叙述され、多くの人にとって好ましいと感じた。
 また、過去の修行者などの引用が比較的多くあるのも、著者の一般化された立場と伝統的立場を結びつけるとともに、道を歩む人にエールを与えている。
 すでに原書か邦訳を読んでいる人もいると思いますが、読まれてない方は一読以上することを奨めたい。

 基本的にはHow-To本ですが、目的や効果、分類等の総論に見るべき点がある。
 ローレンスは、冒頭に「なぜ瞑想をするのか」との質問を示し、「家に帰るよなものだよ」との回答から始めている。そして多くの神秘主義者の見とめた成果・効果、目的を端的に「日常生活をとても効率的に送れるということ」、「実在に対するもう一つの見方を獲得するということ」とまとめて第一章を終える。
 第五章では基本的なタイプとして知性を通じた道、感情を通じた道、身体を通じた道、行為を通じた道との4つのタイプに分類し、それぞれ具体例を示し瞑想の全体像に対する読者の理解を深める。そして、どのタイプが合うか判定の仕方も示されている。
 第三章などで、触れられる訓練の意味に関する考察を視野に入れた幻覚剤と訓練された瞑想との違いも興味深い。昨年の一寸した紛糾もこの本を読んでいれば、より適切な視点を皆さんに示す事ができただろう。訓練の意味への言及は、私に聖ロヨラの霊的体操との用語の妙を、自分の経験と照らし合させ、より深い理解をもたらした。
 第六章では身体動作をともなわない瞑想を、体系化された瞑想と体系化さていれない瞑想に分けて論じている。これも啓発に富む内容であるが詳しく論じるのはこの短い紹介文の範囲を逸脱するので割愛する。
 これらの総論的問題は、この本をお持ちの方が複数名おり、お付き合いしてくださるのであれば、ぜひ意見を交換したい内容である。

 またHow-toについては、瞑想の作業は厳しい、忍耐が要る、効果を見るには最低数週間から数ヶ月の実習が必要だ等々、瞑想によって陥り易い所謂魔境や陥穽についてのコメントの数々、当たり前の事がしっかり書いてある。何冊も関係書籍を漁り相互に比較検討を重ね、実践も重ねた諸兄には既知の事柄ではあると思うが、当たり前の事がしっかり書いてある本は極めて少ない。
 8章では、具体的な行法の手引きがされている。用語はちがうが、数息観、観想、マントラ瞑想など紹介されている。秋端『講座』の瞑想とも一部重なり、『講座』を持っている人にはさらなる理解を与えるだろう。『瞑想入門』は魔術入門書と瞑想入門書との立場の差もあるが、瞑想のテキストとしては技法の紹介する数は劣るものの、『講座』より優れている。
 How-to部分にも珠玉の引用が多い。しかし私たちに関係するものとして、瞑想で気が散る事についての過去の修行者たちの声を引いてみたい。問を纏めればあなたはどれだけ瞑想で本当に集中・没入できますか、あるいは常に集中・没入しているのですかとの趣旨に対する回答です。
 クレルヴォーの聖ベルナール曰く、「ああ、そんな時の何と少ないことか。そして、その時のなんと短いことか」。アヴィラの聖テレジア曰く、「私のことをなんだと思っているのですか。聖者だとでも?」。
 もちろん私は彼らと比較するに値しませんが、時代と場所を経て共感を感じずにいられません。もし、彼らのコメントを読んで、「なんだ対したことないな」、「俺のほうがもっと凄い」と考える人がいれば、私はかなりの確信を持ってその人の体験に対する評価は誤っていると断言することでしょう。

 私はこれからは瞑想の本を買うなら、ローレンス『瞑想入門』を推します。

目次

第1章 なぜ瞑想をするのか 7
第2章 瞑想とはどんな感じのものなのか 27
第3章 瞑想の心理学的効果 36
第4章 瞑想の生理学的効果 50
第5章 瞑想の基本的タイプ 55
第6章 体系化された瞑想と体系化されていない瞑想 69
第7章 神秘主義・瞑想・超常現象 78
第8章 瞑想のノウ・ハウ 86
第9章 瞑想と神秘主義にひそむ誘惑の罠 133
第10章 瞑想には先生が必要か?あなた自身の瞑想への道を選ぶ 159
第11章 精神療法と瞑想の統合:精神療法家のための指針 176
第12章 瞑想の社会的意義 194
解説 エドガー・N・ジャックソン 218
原注 243
訳者あとがき 255

以上
(初出:03/01/11,No.370 )


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作成者: TRK
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