黄金の夜明け団、正確に言うと外陣たる黄金の夜明け団,内陣であるルビーの薔薇と金の十字架団,不可視の第三団は,1つの位階構造のもとに成立しています。
この位階構造は、団という集団ないしは社会ににおける階級や地位あるいはカリキュラムに対応します(「団における位階」)。
しかし、それのみではなく、「個人の精神と世界に関する宇宙論」である生命の木の理論に結び付けれられた、個人の精神の発達ないし啓発のモデルとなっています。
わたしたちにとって、位階構造でもっとも重要なのは後者、即ち精神の発達ないし啓発モデルとしての構造、あるいは霊的原理と同一視された位階構造(参入儀式・位階儀式)です。
この関係に関し、イスラエル・リガルディーは,賢明にも
「団の体系の基本理論は,位階を宇宙に存在する霊的原理と同一視することである。」
また、この精神の発達ないし啓発のモデルと同一視された位階構造(参入儀式・位階儀式)の問題に関しては、Paul Foster CaseのThe True and Invisible Rosicrucian Orderが論じており、参考になります。
この精神の発達ないし啓発のモデルとしての位階構造に対し、前者即ち「団における位階」は、その不完全な模写にすぎないといえるでしょう。
団により与えられた位階、あるいは自己参入式などで自らに課した位階はもちろん、幻視等の神秘体験により達したと感じた位階であっても、精神の発達モデルにおいて、わたしたちが立っている地平を表しているものではありません。
幻視等の神秘体験により仮に深淵を超えたと感じても、それは<一時的に>その高みに<引き上げられた>のみです。
体験の後に、わたしたちが住む物理的世界において、神秘体験等を手がかりにその高みを自ら<表現あるいは実現>したときに、初めて真にその位階の表す地平に達したといえる、そのように考えます。日々の生活、日々の生命の活動こそが、真のイニシェーションの場であるからです。
位階儀式、あるいは位階に対応した神秘体験は、あくまでもその位階が象徴する<高み>を、わたしたちに垣間見せるだけなのです。<見ること>と<知ること>は、ギリシャ語などでは語源を同じくしますが、英語で言う「理解」"Under・Stand"したとき,即ち、その高みの下に立ち、それを自らを通して物理的世界に表現することでのみ、わたしたちは、ほんとうに「理解した」或いはその位階に達した、といえます。わたしたちは、そのことを、知性的にも感情的にも、深く記憶する必要があるでしょう。
なお、多くの方が、あまりにも真面目に、自分はそのレベルに達していないと、団体等のカリキュラムを進めるのを躊躇うことを、私は実見しましたので、一言付言したいと思います。ほんとうの意味でその位階、精神の発達モデルでの地平に立つことができないとしても、不完全な写しである団のカリキュラムなどに対応する位階を進めることに、何ら問題はないとおもいます。小密儀の位階は各セフィロトに対応するが、同時にマルクトの四分割円に対応するといわれることの意味を良く理解する必要があります。私たちは積極的にカリキュラムを消化即ち理解し吸収していくべきです。
小密儀(外陣・第一団)
(なし) 0=0 ニオファイト(新参者) (光)
10 マルクト(王国) 1=10 ゼレイター(熱心者) 地
9 イエソド(基盤) 2=9 セオリカス(理論家) 風
8 ホド(壮麗) 3=8 プラクティカス(実践者) 水
7 ネツァク(勝利) 4=7 フィロソファス(哲学者) 火
(なし) ポータル(入口)
大密儀(内陣・第二団)
6 ティファレト(美)5=6 小達人
5 ゲブラー(力) 6=5 大達人
4 ケセド(慈悲) 7=4 被免達人
(不可視・第三団)
3 ビナー(理解) 8=3 マギスター・テンプリ
2 ホクマー(叡智) 9=2 マグス
1 ケテル(王冠) 10=1 イプシマス
さいごに、黄金の夜明けの位階構造については、生命の木との対応ばかりが注目されがちです。しかし、その位階の名称の由来がなにであれ、彼らの理想とした教育課程は、その名称に表現されています。(1)