儀式の基礎知識


  1.  典礼の構成部分20110508

     典礼の構成部分は、下の3つに分けることができる。

    1.  事物に手を触れるといった所作(Dromena)(Things Acted)
    2.  そのような所作に随伴した聖なる句(Legomena) (Things Said)
    3.  司祭によって観覧に供された「示されたもの」(Deiknymena)(things shown)

  2.  カトリック教理における事効的効果: 秘蹟の効果の原因はいずこに求められるか?20110508

     典礼の効果は、いかなる原因に由来するのか。

     これに関しては、古来より議論がある。そこで、ここではカトリックにおいて行なわれた典礼のうち「秘蹟」という極めて特殊な事例に関する議論の一部を通して紹介したい。
     なお、F.I.リガルディは、典礼のうち秘儀参入儀式の効果について、「秘儀参入儀式の効力は、ほぼすべて秘儀授与者にかかっている」(『全書』P.20)という見解(「ほぼ」とあるので、純粋な人効的効果説と人効的効果説の、人効的効果説よりの折衷説であろう。)を採っている。

     カトリックの教理では、過去秘蹟の効果に関する論争があった。その論争において、正統と判断された教理が事効的効果説である。そして、これは今も堅持されている(『カトリック教会のカテキズム要約』問229「なぜ諸秘跡は効力をもつのです。」参照)。
     では、カトリックの教理でいう所の「事効的」とは、何か。

     それは、「秘蹟の外的行為が正しく行なわれれば」、この秘蹟は霊魂の成聖を呼びおこす、という意味である。

     授与者は自分のではなく神の聖寵を伝達するのであり、従ってその効果は授与の際その授与者が道徳的に善か悪か、又はその程度いかんということにはかかっていない。授与者がその神的権能を有し又教会が天主の定めに従って彼に命ずる所を行なうならば、彼の道徳的品位いかんに拘らず秘蹟を有効に授与し得るとする。

     この教理を理解する上では、秘蹟的行為を分析する必要がある。
     秘蹟的行為を分析した場合、その効果が生じる契機(原因)として、

    1.  行為そのもの
    2.  授与者の活動
    3.  受領者の心構え
    の3つに区別することができる。

     そして、カトリックの教理では、秘蹟的行為自体は、「働かれたる働き」(OPUS OPERATUM)(OPERATUMは受動形)であり、秘蹟の客観的側面であり、主観的な「働くものの働き」(OPUS OPERANS)である、秘蹟受領者の内的な心構えと道徳的態度とに、対立する。
     そして、秘蹟による聖寵作用の原因は、秘蹟受領の際の受領者の心構えや道徳的活動ではなく、秘蹟的行為それ自体にあるとする。しかも、秘蹟による聖寵作用は、自然的に内在する力の故ではなく、神及びキリストの道具としてあるものであり、従って人効的ではなく、寧ろ事効的のものであるとする。これがカトリックの教理である。(注:これについて、2005年に公布された前掲『カトリック教会のカテキズム要約』問229の答えでは、秘跡の効力は事効的であるとした上で、「とはいえ、諸秘跡の実りはそれを受ける者の心のあり方にもよります」と述べている)

     なお、これの問題の背後には、カトリックの教理つまり「洗礼を受けない者は、天国に行けない」との公式が潜んでいると思われます。
     仮に、秘跡の効力を授与者に求め、その効果の根拠を授与者が教会による叙階を受けたこと、すなわち教会を通して「神及びキリストの道具」としての資格・権限が与えられたことにあるする。
     換言すれば、「教会で正式な(有効な)叙階を受けた聖職者によらなければ、その秘跡は効力を生じない」と考える。この場合、根拠となる叙階が何らかの事情により、実は無効であったことが判明したとしましょう。そうすると、叙階が無効であった者から洗礼を受けた信者は、有効な洗礼を受けていないので天国に行けない。
     特に、洗礼を受けた信者が、洗礼を施した者の叙階が無効であったことが判明する前に死亡していた場合、その死者は地獄から救われることはない。日本の仏教団体のように、死後救済制度があれば救われますが、死亡時には無効であることが判明していないのですから、その措置を受けることはできず、必ず一回は地獄で責苦を受けることになるでしょう。救済措置により時間が巻き戻って地獄行きがなかったことになる、そんな理論を認めない限りは。また、そもそも叙階が無効であるのに、そのことが判明しなかった場合はもっと悲惨なことになるでしょう。

     そのような結論は、到底信者たちに受け入れらないでしょう。せっかく、洗礼を受けてもそれが有効ではないかと考えたら、魂の平安は訪れません。そして、最終的には、教会の権威、教会への信頼は破壊されるでしょう。
     それゆえ、人効的効果説は、政策上もとり得ない。

     参考文献:より正確な知識を得たい方は『カトリック大辞典IV』の秘蹟の項目(P.366〜373)(富山房、昭和29年)を、秘蹟論争に関する一般的知識を得たい方は堀米庸三『正統と異端:ヨーロッパ精神の底流 』(中公新書、1964年)を各自参照してください。なお、関口武彦「中世秘跡論争」という論文がネットで読めますので、興味がる方はそちらも読まれるといいでしょう。

     なお、真言宗の沙門の言葉であるが「三密一致は理論で到達し得る境界ではない。実際に修するに依ってのみ開け来たる道である。実修するということは、ただ無意味に念誦次第を順序にたどるということではない。そのためにそれを意義づけるために、念誦次第の構成、その一つ一つの印明の持つ意義を知悉しなけばならない。」中川善教(『中院流諸尊通用次第撮要』 p.ii)という意見がある。実践者として参考になると思う。
     同時に、本来神々について論じない仏道においては事効説などとりえないと思われるので、根本的な立ち位置の違いを考えたときいろいろと思いをはせることがある。神に仕える宗教と解脱を求める仏道は本来その道を交えることがない。現在両者が協調できているのは、宗教において神が退き人間中心主義になったことと、仏道が仏に仕える宗教として変容したことからではないだろうか。仏道は、神無き教えゆえか、かつて、ムスリムにより無神論(クリフォトのケテルである)とみなされインドで強烈な弾圧を受け滅亡させられた(ムスリムが仏道を無神論と捉えていたのならば、彼らが僧院を襲い僧侶を虐殺した行為したことも理解できる。本来、無神論者は究極の神(々)の敵である。)。近代でも宗教でなく哲学・思想であるとまで揶揄されることもある。また、自燈明・法燈明の教えは「啓示」、霊的存在からの教え受けることを目的とした多くの宗教・疑似宗教を正面から否定するラディカルな教えでないだろうか。参考にする場合、注意が必要である(なお、真言宗以下2014・09・11追加)。

  3. Formulaeとは何か?20140708

     しばしば、魔術文書ではformula(単数形、複数形はformulae又はformulas)との単語を見かけるが、formulaとは何か。
     まずは辞書の定義を確認しよう。The Oxford English Dcitionary(第二版、1989、オックスフォート)による定義のうちオカルトでの使用場面に適したものは、以下の如し。


     まあ、大体こんな意味です。蛇足ですが、ときどき動詞の「formulate」が「公式化する」とか訳されていもいますが、こちらは3の訳語からでしょう。ちょっと誤解を生む訳語です、素直に(思念像を)「形作れ」「打ち立てよ」とでも訳した方がよい場面も多かったような気がします。それはさておき、上の3つの定義について、すこし説明を足します。

     魔術の場面では、まず1の意味、定義や公式に定められた一定の言葉や、儀式の場面などで使われる権威や習慣により定められた一定の決まり文句、そんな感じの意味です。訳例としては、大沼忠弘氏が『神秘のカバラ―』2章10節の28頁においてformulaeを「一定の文句」と訳した例があります。

     2の意味、処方箋とかレシピという意味ですが、"(magical) formula"="magical recipe"(魔法の処方箋)=「(○○成就の)、お呪い・儀式次第」の意味で使われます。私のつたない英語感覚だと、formulaは、magical recipeに比べて、ちょっと気取った、お高く留まっている感じです。処方箋という意味ですから、症例(目的)に沿った願望達成魔術を紹介する文脈で使われる例が多い。学者さんの本でもフォーミュラを使ったもの、レシピを使ったもの、両方があったと記憶しています。

    最後に、3の意味、代数記号であらわした規則や原理、まあ、私たちが中学高校で習う数学や科学の「公式」です。ひょっとしたら、魔術シーンではGDの系統独自ではないかと思います。I.N.R.I.のfromula(「INRI=IAO」の公式)という場合に、このニュアンス、代数的なニュアンスが含まれています。
     つまり、「I.N.R.I.」は通常"JESUS NAZARENUS REX JUDECORUM(ナザレのイエス、ユダヤの王)"のイニシャルとされますが、これについて、各アルファベットを一種の代数として扱い、「INRI=IAO」の左辺に

    1. 「I=Yod, N=Num, R=Resh」
    2. 「Yod=Virgo, Num=Scorpio, Resh=Sol」
    3. 「Virgo=Isis(Mighty Mother), Scorpio=Apophis(Destroyer), Sol=Osiris(Slain and Risen)」
    4. 「Isis=I, Appophis=A, Osiris=O」
    を次々と代入していき、右辺の「IAO」を導き、「INRI=IAO」の「公式」を証明する(INRIの解析)。

     このINRI=IAOの論法は、クロウリーも好んだらしく、積極的に利用して、さまざまな独自の公式を作っています。それゆえ、クロウリー関係の本を読むとやたらと「○○のフォーミュラー」との言葉を散見するときがあります。

     なお、ここでも結局は、代入される各命題、例えば「YodはVirgo」であるについて、暗号文書のイェツィラー帰属が使われています。
     まさに、イェツィラー帰属こそが、GDの魔術システムの最秘奥である証左でしょう。
     また、イェツィラー帰属そして暗号文書こそが、GD体系の根幹であることが分かります。なぜなら、いかに推論が正しくとも、前提となる命題、イェツィラー帰属が偽では、その推論は意味がないからです。


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作成者: JAGD
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